ポレポレ東中野にて11月18日ロードショー
監督・撮影・編集 小川真利枝 現地コーディネーター 中原一博
協力:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
2017年/日本/チベット語/93分/カラー/ドキュメンタリー
ポレポレ東中野にて11月18日ロードショー
読み書きのできないラモツォは、
旅の途上をビデオカメラに記録したー
アメリカ・サンフランシスコ。
ゴールデンゲートブリッジを車で颯爽と走るのが、主人公のラモツォ。
彼女は、亡命チベット人。夫が政治犯として中国で逮捕され、突然、故郷へ帰れなくなった。
最初の亡命先は、インドのダラムサラ。そこで彼女は、道端でパンを売りながら、
4人の子どもと義父母を女手ひとつで養った。
学校へ行ったことがないラモツォが、人知れず続けていたのがビデオカメラで日記をつけること。
その映像には、歴史に翻弄されながらも、前を向いて生きる一人の女性の姿がうつっていた。
映画は、ラモツォがスイスをへてサンフランシスコに辿り着くまでの6年を、
80時間におよぶビデオ日記とともに描いた。
そして、夫の釈放の日が近づいてくる。
- 夫婦 -
ヒマラヤ山脈の北に広がるチベットは、現在は中国の一部となり、宗教や表現の自由が制限されている。
主人公ラモツォは、そこから標高4000mの山を越えて、歩いて亡命した。
その彼女と2009年にダラムサラで出会ったのが、本作が劇場初公開作品となる映画監督の小川真利枝。
インドの難民収容所から取材をはじめ、
全編チベット語で撮影するために1年間ダラムサラに語学留学をしながら8年の歳月をかけて完成させた。
1998年音楽ファンの間で伝説化したアルバム『mariko』を皮切りに、数々の映画音楽を担当している浜田真理子。儚さと力強さを合わせ持った歌声が、ラモツォたち家族の生き様を「ハレルヤ」と讃えているように響き渡る。
2007年早稲田大学・教育学部卒業。テレビ番組制作会社に就職。退社後ダラムサラへ語学留学。帰国後、テレビやラジオでディレクターの仕事を続けながら、ダラムサラの難⺠収容所の少年を追ったドキュメンタリー『ソナム』(2014)を発表。劇場公開は果たせなかったが、全国各地で自主上映会が行われ話題になる。
映画の魅力とチベットをより深く知ることのできる充実の劇場用パンフレット。
各分野で チベットを専門とする多彩な執筆陣が、映画の背景やラモツォについて読み解きます。
さらに小川真利枝監督がラモツォとの出会いから、映画に込めた想いを綴ったディレクターズノート、
読み書きのできないラモツォが夫ドゥンドゥップ・ワンチェンへ宛てた手紙などを収録。
読み応えのある一冊です。
パンフレットの収益はすべてラモツォの子どもたちへの学費支援となります。
ラモツォの長女は大学に合格しながら経済的な理由で短大に進学しました。
4人の子供たちの面倒を見るラモツォと、チベットの今後を担う子供たちへの応援をぜひよろしくお願いします!
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COMMENT
前を向いて笑おう。うつむくと涙がこぼれるから。
前を向いて祈ろう。子供たちが傷つきませんように。
前を向いて生き抜こう。政治犯の夫と再会できるまで。
ラモツォ母さんの「家族を守る」ための旅の記録は
私たちに、受難から祈りが生まれ、その祈りから
生き抜く力が育まれることを教えてくれる。
映画監督 代島治彦
国を追われるということはどういうことなのか、いや、そもそも国ってなんなのか。
この映画を見た後は、家族について、居場所について、信仰について、信念について、国家について、愛について、そしてラモツォさんの笑顔の美しさと強さについて、誰かと話したくなるでしょう。
ミュージシャン 浜田真理子
ラブラン、ダラムサラ、サンフランシスコ。この映画に出てくる町はどこもチベット人が多く住む町だ。それぞれの土地で、主人公とその家族たちは、相手によって、場面によって、いくつものことばを使いわけながら生きている。三世代のことばの違いはそのまま彼らのたどってきた歴史を物語っている。
つらいときでも冗談を言って笑いあう彼らの生き方は、まるでよくしなる竹のようだ。しなやかで、強い。最後のシーンにはそんな彼らの秘密が凝縮されているように思えた。(パンフレットの寄稿より抜粋)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授 星泉
背景には重たいチベットの現実はあるけれど、
生きることは日々のたゆみない積み重ねであることを実感させてくれる秀作である。
翻訳家 三浦順子
小川真利枝は、辿る道も無ければ行き着く場所も定まらない、亡命者の幾たびもの旅立ちと別れの瞬間に密着している。その苦しみと悲しみを描きながら、決して暗い作品になっていないのは、日々の暮らしの中にあるささやかな幸せや歓びの生地を丹念に描いているからである。
小川は、ラモツォという一人の妻であり母親の存在を明るみに立たせることによって、わたしたちに「国家とは何か?」という大きな問いを投げ掛ける。
観るものの良心を眠らせることを許さない映画である。
作家 柳美里
“チベット難民”を追ったドキュメンタリー映画だと思って見ていると、カメラがアメリカに渡ることによって、映画は散文的な広がりを見せる。別離でも再会でも、ラモツォでもチベットでもない主人公を監督は追い続けているかのようで、だからなのか、浜辺のシーンがなにより印象に残った。
イラストレーター 渡邉知樹
本作では、ピアノの即興演奏を挿入曲として提供
私は、幼い頃のあだ名がチベットだった。初チベット行は42歳の時だ。なぜそこに惹かれるのか行けば判るかと思って出かけたが「なぜ?」は解けず、でもチベット人と一緒にいるととても安寧な気持ちでいられ、今度はその理由を知りたくて、以来30年通い続けている。チベットは、政治問題を避けては語れない。この映画もまた、タイトルに「亡命」の文言がある。 だが、どうかじっくりと、ラモツォや家族、友人たちの暮らしぶりを読み取ってほしい。状況をカルマとして受け止め、打ちひしがれることなく、しなやかにしたたかに生きるチベット人の姿を読み取ってほしい。
私はそんな彼らの生き方に惹かれて、チベットに通い続けている。
作家 渡辺一枝
映画『ラモツォの亡命ノート』は、亡命したチベット人たちの現状とチベット人女性の優しさ、力強さを教えてくれてる素晴らしい映画だと思います。ラモツォは全てを失ったにも関わらず、力強く、前向きな生き方をしており、その姿に私たちチベット人は誇りすら感じ、また非常に勇気付けられます。小川真利枝監督は女性同士の共感を通して、ラモツォのどんな小さな心の動きも見逃さず、温かい視線で作品に還元しています。特に、読み書きが出来ないラモツォの手元にビデオを残し、一日の出来事や感じたことを残させる、という撮影方法は素晴らしいと思います。
日本は民主国家で非常に発展し、自然豊かで美しい国だと思います。しかし、狭い社会空間に息苦しさを感じ、人生を諦め自殺してしまうという人々も多く、悲しく思います。ぜひ、この映画を観て、チベットから亡命した人々の困難や現状を少しでも理解して頂けたら嬉しく思います。様々な自由を失い、夫も失い、亡命先で女手一つで子供4人を養わねばならない状況は想像を絶するものですが、ラモツォはいつも希望を持って前向きに明るく生きています。彼女の生き方が日本の人々にとっても希望になれば嬉しいです。
在日チベット人 ロディ・ギャツォ